フレンチスリーブ


春って、五感をなくしても、わかるような気がするって、
ずっと前から思っているけど、
ほんとうに、まぶしいんだ。
いたるところで生命がうまれてる。
みえるところでも、みえないところでも、
あたらしくはじまっている。
使い古しの繰り返し なのだけど、
なにかが減っていったり、なにかが増えていったりしている。
君の二の腕の脂肪かなんかが、それを象徴していて、
去年の君のほうが細かったとか、夏のほうが黒かったとか、
使い古しの繰り返し の皮膚なのだけど、あたらしくなっている。
ボディソープを変えたら、いつかブリキの肌になるかもしれない。
世の中がそういうふうに動いたら、僕ら必要なくなっちゃうかもしれない。
それでも春にうまれてくるのは、ただつまんないものだけじゃないんだ。
タンポポのわたげみたいに、遠いところから、
おもしろいものとか、ふしぎなものを、はこんできたりする。
だから風が強いんじゃないかな。
そうじゃなかったら強い風なんて、まるで意味がないもの。
僕にとって春は、
まぶたを閉じていても、ぱちぱち音がしているように、
不安と希望が飛び交っていて、
あたらしい憂鬱が、きらきらとはじけてる。
なんていうかそういう感じ。
絶望的なのにみんな笑っていて、残酷なのにうつくしい。
なんていうか、そういう感じで、桜は咲いて、散っていくのが、僕にはわかる。
桜はやっぱりピンクなんだって、曇った日のほうがよくわかるように、
そういうところが、他とはちがう、春なんだなって思うんだ。