ハンカチ落ちてますよ。


ひとつ、ふたつ、落としていく。ヒントみたいな引っ掛け。罠みたいな悪戯。そうやってまた犠牲者を増やしていく。みんなぼくの人生の道連れだ。自殺したいやつはこなくていい。振りほどいて振りまいて振りほどいてまた縋って、。
目の粗いふるいにかける。本当のぼくはふるいであるからにして、みんなぼくに気づいていない。ふるいであるのがぼくだから、ぼくからぼくは見えず、気づかない。わからない。

ぼくは大層偉そうにしているけれど、ただ生きているだけであって、生かされているだけであって、本当はただの屑だ。
今もまたふるいにかけられ、落とされているだろう。目に見えないところでも、目に見えるところでも、幾度となく繰り返されている。知らない人、知っている人、名前だけの人、名前も知らない人、。これから出会うだろう人も、同じだ。

ぼくは屑であるけれど、丸ではないし、四角でもない。三角でもないし、星形みたいなおしゃれな形でもない。
どこかが出っ張っていて、どこかがへこんでいて、とてもいびつな形をしている。それを好む人とそうでない人がいる。おもしろがる人は最初だけ、さよならも言わずにぼくを忘れる。だけどぼくはおもしろがってくれるとうれしいから、また違う形になったりする。好きな人にはずっと好きでいてくれたらうれしいし、そうでない人にも振り向いてほしいこともある。

よくある出会いっていうのはそう、あれ、ハンカチ落としましたよっていうやつ。そういうのと同じで、ぼくも物を落とすし、それが意図的であったりもするんだ。
そしてまた新しくふるいにかけられる。ぼくもふるいにかける。喩えがよくないかもしれないね、でもきっとそういうもの。出会いというのは突然で、ほら、さっきまで気にならなかったのに、とか、あんたそんなところにいたの、とか、その表現も人それぞれなのだけど。

最初に、ぼくは目の粗いふるいと書いたけれど、どちらかというと目が粗いというよりいびつであって、目は細かいといいなと思っている。素敵なものを逃したくないからね。きっと掴み取りよりは損をしないと思うんだ。ぼったくりなんて、たまったもんじゃない。
できるかぎり出会った人は憶えていたいし、落ちたハンカチは拾って届けたい。そう思ってるんです。だからまたこうやってハンカチを落としてみたりする。ぼくを忘れる人もいれば忘れない人もいて、忘れない人というのは犠牲者であり共犯者で、ぼくの人生の道連れになると同時にそれぞれの人生の道連れになっていくのだ。それは悲しいことではなく、楽しいことだ。それは苦しいことではなく、うれしいことだ。
ぼくはたくさんの人を道連れにしたいと思っている。そんなこと言うとすこし怖いね。また偉そうにしているし。だけど本当のこと。ふるいである本当のぼくはそんなことを考えている。そんなおはなしでした。