サンタクロースの子 いつも“未来ある子ども”という言い方がどうもしっくりこなくてむずがゆいので、その言葉の成り行きを考えたくなる。 たしかに年を重ねれば重ねるほど“あの頃はよかった”とか“ああしておけばよかった”と思うことが増える。 自分の未来はみんなの未来であること、そして年が下の子たちは自分より未来が長いはずであること。 だから“未来ある子ども”というのであって、未来に投資することは子どもに投資することにそう変わりない。 * サンタクロースというのは子どもに投資する大人であって、それが親であってもおかしくはない。 だからサンタクロースが親だからといってがっかりする必要はなく、サンタクロースはもともと親のような存在なのだ。 ただサンタクロースという出来上がったイメージがあるため幻滅してしまうけれど、意味合いは変わらず子どもという未来に投資することである。 親がサンタクロースだということはすばらしく、とてもありがたいことだ。 すなわち子どもは皆、親というサンタクロースの子どもであるのだ。 サンタクロースになることは親(大人)になることであり、親(大人)になることはサンタクロースになることである。 * お金を使うことも、お金を貯めることも、結局は未来への投資なのだ。 だからどちらでもいいし、どちらもそう変わりない。どちらかしか選べないのだから。 なにもかもが未来に繋がっている。それを重ねている。 立っているだけでも前を向いているのだ。 生きているものは皆未来に向いている。いやというほどにその光を浴びる。 それが体にいいのか悪いのかわからないけれど、要は気の持ちようなのだ。 考え方については、いくらでも変えることができる。変えようとしなければ生きづらくなっていく。 “今が楽しければいい”という考えはよくないと言われるかもしれないけれど、“今”だって結局は未来への投資なのだ。 今が楽しくて悪いことはない。今が楽しくなければ楽しくできるようにしなければいけない。 今を楽しくすべきである。それが過去の産物となり、未来への投資になるのだから。 * そう、自分は未来に投資しているサンタクロース。 つまり、みんなサンタクロースなのである。 |