何度借りても読まなかった本がある


ひらがなにする部分としない部分のポリシーが気になって、もちろん言葉遣いも気になって、小説や長い話になるとそれが如実にわかるから、うん、そればっか気になっちゃうのかなあ。
フォルムとか。字面とか。
そんなことばっか気にしてるから進めなかったりする。本。
でも、本だから好きだったりする。フォントとか(洒落ではなく)。
よく小説で使われる縦書きのフォントが好きで、なんともいえず、いいんだなあ。
現代詩手帖とかたまに借りて見ると、気になるのはそれ。ああ、いいなあって。
やっぱ文字って言葉じゃなくかたちなのかもしれない、ぼくにとって。
語彙は多いほどいいけど、難しい言葉を使っても伝わらなかったら意味ないと思うし。わかりやすい言葉がいいし。
本をめくるのは好き。好きだからこそ、読めていないのにめくりたくなる。
でも、めくると、読めていないと話がわからないしネタバレみたいになっちゃうから、めくれない。
ということが気になりはじめたりすると集中力がなくなっている証拠。
詩集のいいところは隙間がいっぱいあって、いっぱいページがめくれることかな。
でも、本(小説)好きからすると、その隙間がもったいないらしい。
余白をぜいたくに使うって結構好きな芸術なんだ。
そう、ぼくにとって本は芸術なんだ。学問とかではなく。作品というか。
気になるのは装丁、あとタイトルかなあ。
タイトルがよくて、引き出してみたら装丁もいい感じで、借りた本っていうのは、大体中身読まずに返してる気がする。
むずかしいことには興味ないというか。なんというか。
あたまがわるいんじゃないかなあと思うけど。まあいいやって。
漢字はきらいじゃないです、むしろ好き。
昔はひらがなより漢字のほうが好きだった。意味が詰まっていて。
でも今はひらがなだなあ。漢字もすきだけれどね。
わかりやすさ、かな。今は。そういうものに惹かれている気がする。